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8/30 豊かなひとときを、ひとりひとり。

 Eテレ、「#8/31の夜に」をみています  ひとりじゃない って言うこと  自分が必要とされている っていう感覚、  これらって一言で言えば、「愛情」ですよね。そして、自分が必要とされていないと感じるのも現代、色んな生き方がある以上自分を見つめ直さないといけないということなんだろうと思います。 努力ができること、これだって本当に天からの恵みものだと思います。 本当の意味で、一人ひとりを大切にしなきゃね…

8/29 そうだ、京都へ。

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    京都に行きました  ちょっと疲れて来たので、これぞ「そうだ 京都、行こう。」! 授業を終えてから京都をぶらり観光しました。名古屋駅→(JR)→京都駅→法然院→八坂神社→鴨川デルタ→京都駅→(近鉄)→近鉄名古屋駅 の行程です。  これと言った目的感もなく、「そういえば京都今空いてそうだなー」という気持ちだけで行ったのですが、感じる事が多くありました。一つ目は、自然の中にいることで凄くくつろぐ事ができること。そしてこれこそ、自分が最近軽視していたことなのではないかなと思いました。コロナ自粛期間中、それまでとは比べほどにならないくらいモチベーションが高かったのは、これが原因かもしれません。もちろん京都の寺院の庭やそれらを囲む森林は素晴らしかったですが、日常にある所でも、不足はないしとりあえずくつろげる場所を作る大切さを感じました。二つ目は、自分が利己的になっていたことです。八坂神社でお祈りをしている時、思う事は全て自分が主語で、「大学がどう」とか「あの計画がうまく行って欲しい」とかそういう事が真っ先に出て来てしまいました。もちろん大切な事は、友達やクラスメート、家族の健康と幸せです。それが真っ先に出てこない自分が嫌になりました。最近、友達に間違った知識をひけらかす事がよくありました。何が善で何が正しいのかはなかなか難しいけれど、思いやりと感謝の気持ちを忘れてはならないと思いました。謙虚でなくてはね。 優しい人に、なりたいなぁ。

ちょっと葛藤

 暑いからなのか、教えられることが出来なくなったのか。  僕は今日、学校を休みました。純粋に暑さと日々の学校生活で疲労困憊していて一日安静にすべきであろうと思ったのが主な理由(実際に午後今まで寝ていました)ですが、もう一つ、自分の中でなんとかしないといけないなぁと思っていることがあります。それは学校で考えることが出来ないということです。  今日、 https://fm.geidai.ac.jp/2241/ の演題を見てそういう見方もあるかなぁと思いました。確かに怠慢と言われればそれ以上ないかもしれませんし、実際に学校無くして今の僕はないことは確かです。しかし、「教えられ・学ばされる」環境の中で自分が学校教育の中で達成したいと考える「考える力の習得」つまり論理的思考が言うならば効率的に行うことが出来たのだろうかと言うことは、一つの疑問だろうなぁと思います。  自ら学ぶ態度、と言うものは自分で問いを設定する・発見すると言う点に深く結びついていると考えていて、直感的に言えば頭がいい人ほど鋭い。そしてこの態度は、大学における学生の怠惰さを改善できると思います。そもそも学校教育の中で全ての課程が「受動的」である人が、その学びを歓迎するだろうかと言う素朴な疑問があります。  と色々書いてみたけど、文字にしてみるとまた、自分の未熟さに気づきますね。  頭の良い尊敬する人達の集団にいることと、自宅学習が好きな私の特性は、両立できないものなんですかね…学校って、学ぶという機能と、コミュニティっていう二つの要素があると思うんですが。うぅん…私がメジャーじゃないもんなぁ…

8/23 ひとこと〔少しずつ〕&社説要約

今日のひとこと〜学問について少しずつ理解を深めています〜   今日は九州大学の公開講座を受講したり、日本学術会議における東大五神総長の対談を聞いたりし、自分が学問を学び社会に対してどのような目線で取り組んでいかないといけないのか、考えさせられる日となりました。  九州大学・東京大学でも常にキーワードであったように思ったのは「インクルーシブ」です。それはつまり、健常者から障害者まで、また若者から高齢者まで全ての人を社会の構成員として包みこみ、大切にするということです。コロナウイルスの感染拡大で、日本の強みや弱さ、そして日常において大切なこと、あるいは不必要であったような事がわかるようになったと思います。観光・交通業を中心に大きな打撃を受けていますが、このコロナの感染拡大をポジティブに捉え、人類社会がインクルーシブに成長できるには何が必要か、考えていくことが必要でしょう。学術と技術の進歩が、人類のみならず地球の繁栄につながるように、活動を進めないといけないですね。 鉄道会社の経営 コロナ禍に耐える構造改革を  新型コロナウイルスの流行で、鉄道会社の経営が揺らいでいる。各社は事業構造の見直しに乗り出すべきだ。 JR 上場 4 社と主な私鉄 15 社の 4 〜 6 月期連結決算は、前者の最終利益が赤字となった。赤字の合計額は、 5000 億円を超えている。旅客需要が激減したためだ。鉄道会社が経営の多角化のために進めた、商業施設やホテル事業も先行きは厳しい。訪日外国人客の回復は見通せない。本業以外でも、新型コロナと共生できる新たなビジネスと開拓することが望ましい。

8/16 ひとこと & 讀賣新聞社説【終戦の日】

 終戦の日 平和と繁栄への犠牲忘れまい  “戦争を直接知る人は、年を追って減っていく。平和への誓いを新たな世代に引き継いでいかなければならない。”  75 回目となった終戦の日、政府主催の全国戦没者追悼式が、天皇、皇后両陛下をお迎えして東京で開かれた。天皇陛下は上皇さまの歩みを引き継ぎ「過去を顧み、深い反省の上に立って」という表現を使い、「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」と述べられた。 1937 年の日中戦争開戦から終戦後のシベリア抑留まで、軍人・軍属 230 万人、一般市民 80 万人の命が失われた。その一人ひとりの人生に思いを致し、平和への努力を普段に重ねねばなるまい。 社説を読んで(私見)  今日は終戦の日でしたので、玉音放送の全文を読みました。おっ古文や漢文を学んできたかいがあったな!と思ったのですがそのことはおいておいて …  終戦後、日本がここまで経済成長を遂げることが出来たのは、もちろん朝鮮戦争をはじめとする近隣諸外国の情勢もあったわけですが、それ以上に日本国民の懸命な努力があったのだろうと推測します。そして同時に、自分の責務は、一国民として国政にきちんと関与し、平和をなんとしても守り抜くという姿勢を貫くことなのだろうと思います。 そのためには、自分には知らないことが多すぎます。そもそも学び方をよく知らない。だからこそ、これまで以上に使命感とハングリー精神を持って勉学に励まねばならないと思います。     今日の一言  先の私見でも少し触れましたが、この夏休みは自分の無知について、理解を深めた 2 週間でした。それの大きな理由は、小論文です。今まで自分は、教育に対してきちんと持論を持ち、またそれには根拠もあるのだと考えてやみませんでした。しかしそれを論じてみようとすれば、仮説ばかり。説得力を持って人に伝えることなど到底できるような内容ではありませんでした。  このことは長らく行っていなかった、社説要約を改めて行うきっかけにもなりました。最近感じることとしては、自分の利益や役職を求めても、どうせ自分は死んでしまうのだから、ということ。小論文は主に大学入試についての内容で、それについての本をたくさん読んで感じたことは、学ぶことこそ世の中を深く理解し、いわゆる人助けの根本となるのだろうということです。モーリ

8/2 ひとこと

今日のひとこと  今日から慶應義塾の小論文コンテストに向け、それに類する文献の読み漁りをはじめました。学ぶってこういうことかぁ...と感じるとともに、教育への明らかな関心が芽生えています。きちんと習得し、今後の大学への学びにつなげていきたいです。今の日本教育の問題点ってなんだろうね。

7/31 ひとこと

今日のひとこと  8月来たる。  もう7月終わっちゃったよ.... 何か、収穫あったかな。  でもね、勉強しないと腹の虫がおさまらない人にはなれました。  受験勉強、今のうちに、頑張りましょう!  今日の勉強時間は(だいたい)9時間です。    7月生きてみてわかったのは、休校期間中にZOOMでASR(放課後レールウェイ)のミーティングしてたこと、すごくストレス発散になってました。  友達、やっぱり大事だなぁ....  8月!頑張って生きます。