3/31 葛藤
なんかなぁー暗いことばっかり書いてもよくないと思うけれど、
今日一年と三ヶ月くらい前?まだ入っていた部活の追いコンがあったのですが、
もう老害でしたね… 呼んでもらっただけありがたいと思うべきなんでしょうが、、 かわいい後輩もどんどん成長してしっかり3年になられて…
なかなか五月祭の担当が割り振られても、
あるいは鉄研で70周年事業を担当するにしても、
もっと遡れば授業でグループワークをするにしても、
飲み会で盛り上がるみたいなことはないし、ましてみんなで楽しくワイワイみたいな感じになったことが(相対的に)全然ない気がする
グループの中に自分のことを慕ってくれる人がいて庇ってくれるならまだ居場所はあるかなという感じだけれど、介護してもらえないと場の空気を悪くしているんじゃないかと思うと非常にいたたまれない、そんな気持ちです。
多分自分が楽しくないんでしょうね、どうせ失敗すると思ってる。でも誰かがやらないといけないからやるけど?みたいな。
とはいえ閉じこもっていたら成長しないし、誰かと喋らないといけないんじゃないかという理性というか、見栄もあるわけです。
その気持ちで演習系の授業取ったり今回だったら飲み会だって行くわけですが、次も一緒に、となる人にはなれないですよね、社交辞令というか、その人の人懐っこさに頼っている。
これが別に平時なら問題ないわけですよ、
でも国家公務員試験を受けていて自分が社会に出た時のことを考えるとなると非常に苦しくなる。
自分で会社を立ち上げるしかないんでしょうか。
チャッピーと喋っても、とはいえ理想を下げるのは得策ではないという話なわけです、
例えば今の駅員バイトからもっと裁量があるようなインターンに転職することからただの飲食バイトに変えるとか、そういうのはやめた方がいいと。
でもこれまで何もしてこなかったのに、インターンなんか行けるわけないし何を誇ればいいと言うんだよ、と言う感じ。ガクチカに非常に困っています。
自分というものがないよね、ずーっと他人からどう見られているか、どうしたら他人に喜んでもらえるかもしくは他者に迷惑をかけないかということをずーっと考えている。その通り自分は動くんだと。
これはある意味美徳かもしれないけれど、深掘りされると困るわけだ。だから飲み会もずーっとぼーっとしてしまう。
とはいえ、自分のことを大事にしてくれる人がいるわけだから、たとえそれが自分とは比べ物にならないほどの友達のうちの1人だとしても、その人にとって一番ではなかったとしても、その人を大切にして、頼っていくのが大事なのかなぁとは思います。みっともないけど、これが現実だよね。
自分はそんな器用ではないから、他の東大生と比べようとするのが良くないのかな。
勉強も部活もしながら一流企業に入社して、みたいなことは無理だと割り切って、
自分が今できることに感謝して暮らしていく他ないんだろう。ゆったり暮らすために今の(高い)新居に引っ越してきたわけだしね。
他人の違いを認められる人になりたいね。
自分が嫌いな飲み方をしていたとしても、嫌いな言葉遣いをしていたとしても、それを受け入れられる広い心。
寝ようと思ったけど冴えてしまったなぁ。
大人になれたら、しっかり諦めがつくんだろうか。
全然今は幸せなんだけどね。
国家公務員試験や院試という通過点があるし、田辺賞を取りたいという野望があるから。
死にたいとは思わない。多分明日はいい日になるとなんとなく思えてた。
新しいことがわかるって幸せだよね。
いつか自分の等身大(強がらなくてもいい自分)を(東京で)わかってもらえる時が来たら嬉しいな。そんなに幸せなことはないだろう、そして、そんなことがあったらもう涙は止まらないだろうなぁ
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